スター食堂 - おいしい笑顔は、スターのかがやき。

STAR 創業大正14年

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スター食堂について

スター食堂の歴史

伝統と、革新の物語。京都における「洋食」の創成期を担い、常に新たな食のかたちを提案し続けてきたスター食堂。そこには、「食」を巡る様々なドラマがありました。

黎明期 ―異国の地で、1人の青年が「洋食文化」に出会う。

日本がようやく近代化の道を歩み始めた明治期、スター食堂の創業者・西村寅太郎は、青雲の志をもって渡米。南太平洋横断鉄道会社の運営する駅レストランにてその才覚を見出される。そこで学んだ「洋食」と「チェーン展開」の経営手法を元に、当時の日本人としては珍しく、ロサンゼルスにてレストランオーナーとなり成功を収める。
帰国後、東京上野で開催された「平和博覧会」で、洋食店の盛況ぶりを目の当たりにする。そして日本における「洋食のチェーン店」という一大事業を決意し、郷里から近い京都へと入洛する……。

スター食堂の創業者・西村寅太郎

コラム〜社章の由来

創業時より存在するスター食堂の社章は、チェーンが連なり”星形”を象っている。これはチェーン=チェーン店を意味し、「星のごとく出店する」という想いを表す。チェーンの中央にはS・C・Sすなわち「STAR Chain Store」の頭文字を配置。社名・社章いずれにも、時代の先駆者としての高い志と決意を込めている。

社章

創業期 ―それは、たった3人の小さな食堂から始まった。

大正14年(1925)

初代・西村寅太郎が京極通り錦天神前に「スター食堂」を開店

開店当時は初代が調理場、社員を1名配膳に雇い、子供を抱えた妻をレジスターに3人でスタート。社名のスターは、「夜空にある星のごとく店を出そう」「飲食業界のスターになろう」という想いから付けられた。

昭和2年(1927)

京極ソーダファウンテン開店

この京極店を皮切りに、チェーン展開が本格的にスタート。「インターナショナル建築」上野伊三郎氏を起用した。

開店当時

コラム〜スター食堂と上野伊三郎氏

日本の近代建築史に名を連ねる上野伊三郎氏(1892-1972)は、モダニズム建築の第一人者である。その代表的な商業建築が、実はスター食堂一連の店舗建築だ。スター総本店は、吹き抜けを利用した機能的かつモダンなデザイン。スターバーは、ガラス窓をファサードにネオンサインが光る凝った意匠。瓦屋根ばかりの京都の町に圧倒的な存在感を放ち、近代建築普及の一翼を担った。

昭和4年(1929)

寺町通に総本店オープン(現在のウイズユー)

寺町通に面する銀行跡地に、念願のスター食堂の総本店がオープン。1・2階が吹き抜けとなった時代の先を行くデザイン、地下に備えられた「冷凍冷蔵庫」などの充実した設備が話題となる。このとき、どこよりも先駆けて、全支店の食材の一括仕入れと加工配給体制を整えたセントラルキッチンが確立する。
以降、毎年1・2店のペースで出店。出町店、祇園店、大宮店など、好立地を選んでの出店が顕著である。

昭和6年(1931)

製菓部を店舗から独立して操業

本店の一部門であった洋菓子部門が独立。現在のクリスピードーナツにあたる近代的なドーナツやロシアンクッキー、ケーキなどを販売する。

昭和9年(1934)

東京精養軒出身の藤井忠孝氏を迎える

皇室の料理番としての流れを汲む精養軒のシェフを迎え、料理の質の向上とシステム強化を図る。

昭和10年(1935)

錦天神前にスターバー開店

創業店である錦天神前のスター食堂を「スターバー」に改装オープン。「バー(BAR)」という新たな空間をいち早く紹介し、関西文士の憩いの場として賑わう。

総本店の構造
製菓部を店舗から独立して操業
錦天神前にスターバー開店
昭和12年(1937)

初めてのウェイトレス採用

それまでは全員ボーイ。また当時は冷蔵庫と言えば氷式だったが、外国から電気冷蔵庫を取り寄せて全店に導入した。オーブンなど基本設備についても、当時の最高レベルであった。

昭和16年(1941)

肉の統制が始まる

肉が手に入らないため、鯨やイルカの肉を使った。材料不足で営業も2時間程度であっが、それでもお客様が列を成した。営業時間後は軍の下請け業務を引き受け、国家に協力する形で会社を維持した。

昭和18年(1943)

戦争激化、「敵国の言葉の禁止」にて商号を「東亜食堂」として営業

同年

飲料禁止令により喫茶と店頭販売のみに業態転換

昭和20年(1945)

終戦

復員する社員を迎え、戦後の物資不足と食品管理法の厳しい中、細々と営業を維持する。

昭和24年(1949)

飲料禁止令解除、商号を「スター食堂」とし以前の業態に戻す

昭和28年(1953)

スター食堂の業者会「スター会」発足

戦時中のスター食堂
戦時中のスター食堂
終戦後のスター食堂

原点探求期 ―その志は海を渡り、ひとつの形に集結する。

昭和32年(1957)

新社長に西村忠男就任

昭和34年(1959)

社員を欧州へ派遣

欧州で3年間、西洋料理の原点を学ぶ。当時、渡欧時間は飛行機で37時間はかかり、在欧の邦人も珍しい時代であった。

コラム〜欧州派遣と「日本人初」の偉業

欧州に派遣された研修生は、戦後で日本人初の労働許可証を取得。フランス大使館の料理番に就任し、ホテル・リッツをはじめ星付きの著名なホテルで本格的に修行を積んだ。またフランス料理人が集まるエスコフィエ協会でも日本人初の会員となる。研修生は帰国後も、日本において西洋料理界を牽引する存在として活躍した(特に18世紀のフランス料理をそのまま再現し、当時のユニフォームで京都の著名人に供したことはテレビ各社に取り上げられ、料理史にも足跡を残す結果となった)。

当時の新聞記事
昭和38年(1963)

月例会「楽星会」の発足

研修生の学びを中心に、フランス料理を楽しむ会としてスタート。第一回は本店で行なわれた。

フランス料理店「ルレ・オカザキ」
昭和50年代のスター食堂
昭和60年代のスター食堂
昭和43年(1968)

フランス料理店「ルレ・オカザキ」開店

ヨーロッパ研修の成果を結集し、本格的なフランス料理店をオープン。岡崎公園に隣接し、当時はまだ珍しい壁一面のワインセラーが話題になった。名物料理はヴォロノフステーキ。NHKの全国ネットで放送されるなど、弊社の歴史に名を刻む店舗となった。

昭和46年(1971)

銀座にフランス料理店「ロティスリー・レ・ボージュ」開店

当時の名鉄総裁のお声掛けにより、東京進出が決まった。

昭和55年(1980)

大阪にフランス料理店「ルレ・ドウジマ」開店

昭和56年(1981)

新社長に西村淳男就任

昭和60年(1985)

「キリンシティ新京極店」開店

ドイツ式の「3回注ぎビール」を京都に紹介する。クリーミィな泡をグラスのふちから立ち上げ、まろやかな味になる。

昭和62年(1987)

キリンシティ第2号店「キリンシティ河原町店」開店

この頃、本社ビルを新設。時代の変遷によりスター総本店の建替を決定、ウイズユービルの工事も着工する。

ビアダイニング創業期 ―新たな食の愉しみ、華ひらく。

昭和63年(1988)

スター総本店を改装し、食の館「WITH YOU」として生まれ変わる

市場小路寺町店とキリンビールがハウスビール「No.1497」を共同開発。京都で飲めるのは寺町店だけであり、この「No.1497」を求めて連日大盛況となる。人気を受けて”京都の地ビール”として全国販売が決定、地ビールブームの火付け役となる。
また店内は鴨川の床をイメージし、床一面に水の流れと玉じゃりを敷き詰める。創作料理の先駆者的存在として、テレビ取材の放映もあり大ブレークする。

「WITH YOU」の構造
平成4年(1992)

百貨店の惣菜販売部門「神戸開花亭」を立ち上げる

百貨店の惣菜販売を手がける企業を加工工場ごと買収、神戸を中心として大阪・京都の百貨店に7店舗の販売拠点を構える。手作りのコロッケやオムライスの実演販売が評判となる。

同年

市場小路の2号店「ビアマーケット西院」開店

寺町店のコンセプトであった京都・床・水をより現代風に進化させた店内はデザイン専門誌にも掲載され、建築業界においても話題となる。

平成6年(1994)

キリンビアパーク・レストラン「からはな」開店

キリンビール京都桂工場の広大な敷地に、回遊式日本庭園を借景にした巨大ビアレストランをオープン。工場直送の出来立てハウスビール「KARAHANA1200」を中心に、キリンを代表する各種ビールが味わえる。当時珍しかった電磁調理器(IH)を全テーブル席に設置して「海鮮セイロ蒸し」や「ビールフォンデュ」等の数々の名物料理を生み出した。

市場小路の2号店「ビアマーケット西院」
キリンビアパーク・レストラン「からはな」

コラム〜「からはな」の盛況ぶり

「からはな」は、ゲストホールやテラス席などを合わせると最大1000席近くになる巨大ビアレストランであった。それでも連日満席が続き、休日は3時間待ちのこともあった(お客様が来店したら、まずは周辺散策をお願いし、案内できる頃にポケベルへ連絡するという方法をとった)。5月のビアフェスタには、1万人を超える人出を記録した。

キリンビアパーク・レストラン「からはな」
同年

花と緑の緑化フェアーに「キリンビアレストランNo1497」を出店

建都1200年記念行事として京都梅小路公園で開催された緑化フェアーにスポット出店。

平成7年(1995)

新社長に西村俊雄就任

同年1月に阪神淡路大震災勃発。神戸を軸に展開していた百貨店惣菜部門に大きな打撃を受けるも、復興パワーにも後押しされ、製造拠点を京都に移し再開。また創立70周年記念でヨーロッパ社員旅行を実施。イタリアのローマからフランスのパリに至るまで、食の本場を味わう。

同年

京都コンサートホール内に「ビストロ・ラミューズ」開店

平成9年(1997)

「市場小路 ジェイアール京都伊勢丹店」開店

駅ビル再開発事業によって新設された京都伊勢丹9階のオープンビュースペースに、市場小路3号店をオープン。1・2号店で培ったノウハウを融合させて、「地球のうまいもん」をキャッチフレーズに新しい食のスタイルを提案する。

京都コンサートホール内「ビストロ・ラミューズ」
「市場小路 ジェイアール京都伊勢丹店」
平成12年(2000)

「カフェテラス京都会館」「Oynai市場小路 四条烏丸店」開店

初の試みとして対面セルフ販売の店舗をオープン。一方ビジネス街の烏丸に市場小路4号店もオープン。京都のおばんざいを軸にした体にやさしいランチが定着し、近隣企業のサラリーマン・OLが連日訪れる。

「Oynai市場小路 四条烏丸店」

ブラッスリー・和業態提案期 ―そして、更なるステージへ。

カフェ・ブラッスリー パリ21区
豆乳とんしゃぶ 寅太郎
豆乳とんしゃぶ 寅太郎
市場小路イオンモール京都桂川店
平成18年(2006)

「カフェ・ブラッスリー パリ21区」開店

ヨーロッパのカフェとブラッスリーを融合した新業態。ランチ・カフェ・ディナーそれぞれの顔を持ち、お客様の多様な利用動機を満たす空間とメニューを提案する。

平成19年(2007)

新社長に西村裕行就任

平成22年(2010)

「豆乳とんしゃぶ 寅太郎」開店

創業者「西村寅太郎」の意を汲んで、初の和食業態にチャレンジ。こだわりの豚肉を豆乳でいただく「豆乳とんしゃぶ」を提供する。

平成26年(2014)

「鉄板とビール 市場小路 寺町本店」をリニューアル

長年愛されてきた市場小路の本店を鉄板料理とおいしいビールを軸に進化させる。ここからまた新たな市場小路の歴史が幕を開ける。

同年

「おくどさんとおばんざい 市場小路イオンモール京都桂川店」開店

「キリンビアパーク カラハナ」の跡地に誕生した市場小路の4号店。イオンモール初出店の店舗となる。居酒屋でありながら、いつでもおいしい「炊きたてごはん」が味わえる。

平成27年(2015)

「牛鉄板とおばんざい 市場小路 北大路ビブレ店」開店

市場小路の5号店は「ステーキ居酒屋」。京の老舗精肉店が厳選した黒毛和牛を石窯と鉄板を駆使して贅沢に調理する。本格的な鉄板料理とともに、京のおばんざいも楽しめる。